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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)2170号 判決

控訴人兼附帯被控訴人 株式会社ミュージック・ジャーナル

右代表者代表取締役 加藤こと 松岡壽子

右訴訟代理人弁護士 田中健恵

被控訴人兼附帯控訴人 株式会社協同宣伝

右代表者代表取締役 池田謙一郎

右訴訟代理人弁護士 杉谷政視

主文

一  控訴人兼附帯被控訴人の控訴に基づき原判決主文第一、二項を次のとおり変更する。

「控訴人兼附帯被控訴人は被控訴人兼附帯控訴人に対し金一二五万〇七〇〇円およびこれに対する昭和五〇年六月一七日からその完済まで年六分の割合による金員を支払え。

被控訴人兼附帯控訴人のその余の請求を棄却する。」

二  被控訴人兼附帯控訴人の附帯控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ二分し、その一を控訴人兼附帯被控訴人の、その余を被控訴人兼附帯控訴人の各負担とする。

事実

控訴人兼附帯被控訴人(以下単に「控訴人」という)は、控訴の趣旨として「原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人兼附帯控訴人(以下「被控訴人」という)の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および附帯控訴につき、附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人は、控訴につき控訴棄却の判決を、附帯控訴として、「原判決中、被控訴人敗訴部分を取り消す。控訴人は、被控訴人に対し(更に)金二〇万円およびこれに対する昭和五〇年六月一七日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、次に付加するほかは、原判決の事実摘示どおりであるから、これをここに引用する。

一  原判決三枚目―記録一八丁表一行目「別表」の次に「(二)の」を挿入する。

二  当審における主張

1  控訴人(被告)の仮定抗弁

控訴人は、昭和五〇年四月一〇日頃、被控訴人に対し、昭和五〇年四月二七日および同年五月四日放映予定の広告について、放映予定日の変更を申し入れ、被控訴人はこれを承諾した。

2  右抗弁に対する被控訴人の認否

控訴人の主張事実中、控訴人主張の申入れのあったことは認めるが、その余は否認する。すなわち、すでに各テレビ局に放映時間をとってあるものについて、被控訴人に任意に変更の承諾ができる性質のものではない。被控訴人としては、控訴人の右申入れに対し、「申入れのとおり変更するように努める。」としか言えないからである。そして、被控訴人は、控訴人の申入れに添うよう奔走し、五局のうち三局については控訴人の申入れどおりの結果を実現させたものである。

理由

一  請求原因一項の事実は当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  控訴人は、松岡壽子を編集長として、昭和四八年八月ころ、クラシック音楽記事を内容とする年四回発行の季刊雑誌である「エチュード」を創刊したが、「エチュード」刊行のためにデザイナー丹沢弘を控訴人の編集員として招き、同人が個人的に懇意にしている知人が勤務する被控訴人に対し、「エチュード」の広告宣伝を依頼した。右広告は、控訴人の予算の都合で、当初新聞紙上に限って実施されていたが、昭和四九年三月ころ、同年四月発行の通刊第四号の「エチュード」について、テレビにも放送されることになった。編集長松岡は、丹沢をアシスタントとして、右広告方法を検討した結果、当時クラシック音楽番組を各一本ずつ放映していたNETテレビ及びTBS放送に対しその番組帯に「エチュード」の広告スポットを流すことが効果的であると判断し、丹沢の発意でその広告代理事務を被控訴人に委任した。そこで被控訴人の広告担当係滝沢平は、「エチュード」の広告を入れるべき一週間のテレビ番組一覧表を、丹沢を通じて松岡に示してその了承を得ることとし、前記音楽番組以外の時間帯に広告をせざるをえない場合は、視聴者層が同じであろうと考えられる他の番組帯に実施する計画を立てるが、そのときは、松岡の指示を受け、右趣旨にそう変更を重ねることもあった。このような方法で、昭和四九年七月、同年一〇月に、新刊「エチュード」の広告のため、テレビスポットの実施がなされ、その料金は広告実施後の翌月一五日払いとされてきた。そして控訴人は、昭和五〇年四月末に「エチュード」の通刊第七号(春号)を発行するにあたり、テレビスポット広告を被控訴人に依頼すべく、丹沢が、同年三月二八日、被控訴人の広告担当係の滝沢平に対し、「エチュード」春号を同年四月末に発売する予定であるからこれに合せてテレビ広告をすること、テレビスポットを入れる番組を原則として前同様にクラシック音楽番組とすること、東京地区以外の地方のテレビ局でも実施すること等を条件に、広告計画の立案を求めた。そして、右「エチュード」春号が、昭和五〇年四月二五日に販売代理店に納品される予定であり、当時、クラシック音楽番組として、NETテレビで「題名のない音楽会」を、TBS放送で「オーケストラがやってきた」を日曜日に放映されていたので、被控訴人は、広告実施日を、「エチュード」春号が一般に出廻る後の同年四月二七日及び同年五月四日の各日曜日とし、東京地方区はNETテレビ、その他はTBS放送をネットワークとして大阪地区が毎日放送、北海道地区が北海道放送、名古屋地区が名古屋放送、九州地区がRKB毎日放送において右番組帯に広告スポットを挿入する広告案を立てたところ、控訴人が広告に関する予算を二〇〇万円以内で賄う必要があったため、別表(一)の1ないし5の広告内容欄記載の各本数の一五秒テレビスポットをもって広告をすることを定め、控訴人はそのころこれを承諾し、その料金は従前の約定による期日が休日に該るため、昭和五〇年五月一六日に支払う旨約した。

2  ところが、「エチュード」春号が印刷会社の都合で納品予定日に納本されないことが、昭和五〇年四月一〇日ころ、確定的となり、同月二七日放送実施日には「エチュード」春号が市販されている状況になく、広告の効果がまったく期待されないことが予想されたため、控訴人は、被控訴人に対し、同月二七日および同年五月四日放映分―とくに四月二七日分については強く―の時を遅らせる手配をとることを要請し、被控訴人は、まず、同年四月二七日分について、直ちに各テレビ局に対して右同日分の変更を折衝したが、名古屋放送及びRKB毎日については同局の了解が得られず、その他のテレビ局については翌翌週の五月一一日に振替えて放映されることになったが、同年五月四日放映分についてはなぜかとくに変更の折衝はなされなかった(その理由は明らかでないが同年五月四日分の変更の指示が強くなかったため、ないものと誤認したかあるいは忘れたためであろう)(この事実のうち、被控訴人が昭和五〇年四月一〇日ころ雑誌の発刊日が遅れるので、これにあわせて広告の実施日である同年同月二七日及び同年五月四日を変更すべきことを指示したことは当事者間に争いがない)。そこで被控訴人は、丹沢に対し、右のごとく変更されたスケジュール表を呈示して、松岡編集長からその程度で広告を実施すべきことの同意を得ることを求めた。これを受けて丹沢は、松岡編集長に右経緯を連絡しようとしたが、「エチュード」春号発刊の遅れで忙殺されていた同編集長から確たる返答がないまま、前記スケジュール表による広告をなさざるをえないものと独自に判断し、その実施方を被控訴人に依頼した。それで被控訴人は、昭和四九年四月二七日、名古屋放送について四本、RKB毎日について三本の各一五秒スポットを実施する代理業務を行なった。しかるに、その後「エチュード」春号の発刊が昭和五〇年四月末になっても間に合わず、地方への配本は同年五月初旬のいわゆる連休に重なることが現実的になり、その結果、テレビによる広告は、一部、「エチュード」春号の出版前に実施されたため、控訴人は、テレビによる宣伝の補強を兼ねて、当時、新設された朝日新聞ラテ版の広告を確保する必要を認め、同年五月三日ころ、被控訴人に対し、別表(二)の6(別表(一)の6と同じ)のとおりの広告を実施することを委任した。

3  「エチュード」春号の発刊・配本は、昭和五〇年五月六日ころになされたが、同号の広告は、別表(二)の1ないし6のとおり、実施された(右広告がなされたことは、テレビスポットの本数を除き、当事者間に争いがない)。

ところで、被控訴人は、同年四月二七日放映予定分についてテレビ局と折衝をしたが結局、別表(一)4の名古屋放送の同月二七日広告実施分の一五秒テレビスポット四本及び別表(一)5のRKB毎日放送の同月二七日広告実施の一五秒テレビスポット三本については、その変更をなしえず、その余は控訴人申人の趣旨どおりの変更をしたが、同年五月四日放映予定分についてはテレビ局との折衝がなされなかったから、当初の予定どおり―もっとも丹沢の実施依頼はあったが―放映された。その結果、別表(二)の1ないし5のとおりのテレビ広告がなされたところ、その間の同年五月三日、別表(一)の6のとおり新聞広告の代理を委任し、その趣旨にしたがって同表(二)の6のとおり実施されたことが認められる。

以上認定の事実のもとに考えてみると、同年四月二七日放映予定分については、控訴人の指示どおり変更された分についてはもちろん、名古屋放送及びRKB毎日放送のように変更されなかった分についても(この分についても、被控訴人としては他のテレビ局と同様な折衝をしたものと推認されるが、テレビ局から拒絶されたためただ、その効果が生じなかったにすぎないのであって、控訴人の申入れの趣旨にそって、被控訴人としてはその債務の履行を尽くしたものと推認される)、被控訴人としては、控訴人の広告委任に基づく債務を履行したものとして、所定の料金額を請求することができるというべきである。

以上によれば、控訴人は、昭和五〇年三月二八日、被控訴人に対し「エチュード」春号のテレビ広告の代理を合計料金二〇〇万円の範囲で求め、別表(一)1ないし5のとおり広告代理を実施することを委任したが、同年四月一〇日、同表1ないし5の同年四月二七日、同年五月四日実施予定の広告を同年五月一一日ないし同月一八日に変更(前記の広告実施日の決定の経緯からみて、同年五月一一日ないし同月一八日の日曜日への変更を指示したことは、関係者において当然了承されていたものと推認される)すべきことを指示して、被控訴人も、右申入の趣旨を承諾したものと認められる(同時に申し込まれた同年四月二七日放映予定分だけを承諾し、同年五月四日放映予定分を拒絶するというような特段の事情は、本件証拠上認められない)。

だが、テレビの放映時間(時間および回数など)については、各テレビ局が、各広告宣伝機関との合意にもとづき、あらかじめ定められており、被控訴人が独自に、自由に放映時間等を定めることができないことはいうまでもないから、被控訴人が前記承諾により負担する債務は、テレビ放映時間等の変更について各テレビ局との間に控訴人の申入の趣旨にそって最大限の努力を払うという程度のものにすぎず、本来それ以上にかかる変更を完全に行うことについての債務までを負ういわれはなく、被控訴人が各テレビ局と交渉した結果、各テレビ局の了解を得られないときには従前に予定していたテレビを予定どおり放映したからといって、当然には被控訴人が前記申入れに基づく債務を尽くさなかったということにはならない(この程度のことは、テレビを自己の営業の宣伝広告に利用する者―本件でいえば控訴人―の負担すべき危険でもあるといえよう。)。

その意味では、四月二七日放映予定分については、被控訴人は、控訴人に対し広告料金を―たとい控訴人の申入どおりの変更を生じなかったとしても―請求することができるというべきである。

ところで、五月四日放映予定分については、被控訴人は、前記のとおり、控訴人からの変更申入の趣旨を了承・承諾したにもかかわらず、その変更についてテレビ局と折衝をした形跡は、本件証拠上窺われない。そして、同年四月二七日放映予定分については、テレビ局五社中三社が放映の変更に応じたのであり、それより一週間後である同年五月四日放映予定分については、被控訴人が控訴人の変更の申入に応じて直ちに各テレビ局とその交渉を始めれば、前記三社がその変更の申入に応ずる蓋然性が強いのみならず、なお日時が相当存することからみれば、その余の二社が被控訴人の変更申入に応じなかったものとは断定しがたく、また、広告放送の目的である雑誌「エチュード」の配本が同年五月六日であって(このことは前に認定したところである)、同日以前のテレビ放映による広告の効果はほとんど期待しがたいものであることに鑑みれば、被控訴人としては、控訴人の変更の申入の趣旨にそって各テレビ局と交渉すべく、その結果いかんによって、変更の申入どおりの約定が成立した分については、その変更の日時に放映し、かかる約定が成立しなかった分については、当初の約定の日時どおり放映し、それによってはじめて、自己の負担した債務を委任の本旨に従って履行したものということができるのであり、被控訴人としては、控訴人の変更の申入―その申入を承諾したことは前記のとおりである―の趣旨のとおり各テレビ局と交渉をしていない以上、たとい、当初の約定どおり同年五月四日放映予定分を放映したとしても、いまだ自己の債務を委任の本旨に従って履行したものと認めがたく、この分の広告料金を請求することはできないというべきである。

もっとも、同年五月四日放映の分については、控訴人の丹沢が了承したスケジュール表にもとづくものではあるけれども、同日放映分についていえば、このスケジュール自体被控訴人が控訴人の変更の申入の趣旨に沿った債務の履行を尽くさないで作成されたものであるから、前記丹沢の了承をもって、この点の被控訴人の債務不履行を免れさせるものではない。

この点と関連して、控訴人は放映変更申入れについて仮定抗弁を主張するが、右抗弁についての判断は前記のところから明らかであるから、ここで改めて判断する必要はない。

前記認定説示したところから明らかなように、被控訴人は控訴人に対し昭和五〇年五月一一日および同年四月二七日放映分については、広告料金を請求することができるが、同年五月四日放映分については、広告料金を請求することができないというべきである。

《証拠省略》によれば、本件テレビ放映分および新聞広告の広告料金が別表(一)の料金欄記載の金額の約定であることが認められるところ、テレビ放映分については、右約定金員は二日分を前提として約定されたものと推認されるから、被控訴人が請求することができるテレビ広告料金は、二日分の一日分であるから、特段の事情の認められない本件では、結局、約定の各広告料金の半額分だけを請求することができると認めるのが相当である。

したがって、テレビ放映広告料金としては、金一九二万円の半額金九六万円であり、新聞広告料金としては金二九万〇七〇〇円(小計金一二五万〇七〇〇円)であることは計数上明らかである。

そうだとすると、被控訴人の本訴請求は、金一二五万〇七〇〇円およびこれに対する昭和五〇年六月一七日からその完済まで商事法定利率の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるが、これを超える部分は失当として棄却すべきである。したがって控訴人の控訴にもとづき原判決を主文第一項のとおり変更するが、附帯控訴についてはこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安藤覚 裁判官 森綱郎 奈良次郎)

〈以下省略〉

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